平成28年2月 仙台旅行東日本大震災5年目被災地を訪ねて

『大きな被害を受けた南三陸町〔震災3日目〕動画』

↑大きな災害、地震を経験された南三陸町へ、私達夫婦は訪れました。

丁度、今年3月11日を迎えると、丸5年になるようです。

まずは、3日目の動画がありましたので、是非ご覧下さいませ。


あの当時、テレビでは色んな報道がされ、心痛めた方も多いかと思います。

でも、時間の経過は残酷です。人々の記憶の中から、少しづつ遠のいているように思います。


私は今回現地に直接お伺いして、実際に報道されている事以上に、現地の方の思いや、想像以上の出来事が繰り広げられ、未だその傷はいえず、それどころか、その辛い現実をしっかり受け止めながら、人は生き続けている。


現地を実際目にすると、報道では見えてこなかったものも改めて見えてきます。

そして、5年経った今も、まだ整備の途中。がれきが撤去され、ようやく道の整備がされ始めてきた。そんなゆっくりな歩みです。


いたる所に、トラックが走り、スーパーや店は未だ、殆ど仮設住宅。

走れど走れど、店一軒ない風景です。

今日は、私が見てきた写真をこちらに掲載し、皆様にあの当時に震災を今一度思い出して欲しいと思います。


現地の方の伝えたい気持ち。お伝えしたいと思います。

震災のあの日から、被害を受けられたまん前に立っている、ホテルの方が

『語り部ツアー』というものを、開催されています。バスに乗り一時間のコースですが、被災地へ直接出向き、その当時を振り返ります。

『お一人でも決行してますよ』と、5年の間ずっと継続されてきました。

ホテル職員の伊藤さんという方です。

当時、ホテル勤務で助かったのだといわれていました。

ただ、このホテル10階程あるんですが、4階の露天風呂のあるあたりまでは、浸水したそうです。地盤がしっかりしていて、ホテルは流されず残ったそうです。その後、このホテルは、避難所としての役割を担っています。

こちらは、戸倉中学校という場所です。

高台の中学校で、10メーターくらいはあるかと思います。

ただ、この中学校の1階部分も浸水したそうです。冒頭の動画でその様子も収録されています。翌日が卒業式の予定でした。今は、廃校となり、そのまま残っているだけになっています。

止まったままの時計が写っているかと思います。

この時刻のまま、現地の方は時間が止まってしまっているというお話でした。

中学校の反対側です。今も多く、仮設住宅がありました。

前が住民の駐車場なのですが、出勤して行った後の様子です。

阪神淡路大震災の時は、2年程度で、仮設住宅は0となったそうですが、丸5年、6年目を迎えるけれど、まだまだ仮設生活の続く方は多いだろうといわれていました。寒い地域、雪もあります。高齢者ばかりが取り残されています。

高台の中学校から降りてきてすぐの場所。

何もない海岸沿いに、土が高く盛り上げられています。

なんだろうと思うと、ここは小学校があった場所。

大きな体育館があったそうです。3月1日に建て直し工事が終わって開校式が終わった直後、3月後半の卒業式を、ここで迎えるはずだったのに、叶わず跡形も無くなる程の被害を受けておられます。

こちらは、結婚式会館でした。当時、4階近くまで波がきたそうです。

高齢者の方の集まりがあったようです。丁度閉会式を行っていた時だそうで、帰宅を留まらせ、屋上に押し込み、330名の方が奇跡的に助かっておられます。

一瞬の判断で、生死を分けたと言われていました。

防災対策センターのあとです。

鉄筋だけが残り、跡形もなくのまれてしまいました。

この当時、職員の方が、町民の避難を訴え、2階の放送室から、飲み込まれる直前まで放送を続けたといわれていました。その方は、5年経った今も、行方不明のままです。この庁舎の前には、献花が沢山飾られていました。

ここでは、40名程の方が亡くなられています。

ちょっと見て頂きたいのですが、4階の屋上に当たる部分。

ここだけが唯一、破損してない部分なのです。

浸水は、このあたりまできているそうなのですが、この先端に立って非難した方だけが生き残ったと言われていました。建物はほぼ水の下に埋もれている状態だったようです。防災センターは、防災を知るモニュメントとして、今後残される計画のようです。

語り継ぐために、あの日を忘れない為に・・・・

こちらは、防災センター反対側のあたりです。

今やっと高台の土台整備が進んでいる所で、この場所はいち早く進められていたそうですが、土の量と、人が足りないと言われていました。

来年あたり、この地域には、今別の場所で営業を始めた、『さんさん商店街』を、移す計画のようです。是非来年も、どんな風に変わっているのかを、見に行きたいと思いました。

町を車で巡ると、いたる所に、こんな看板が目につきます。

浸水の地域が、いかに多かったかということですよね。

ホテルロビーに飾られている震災の記憶。

沢山の当時の写真、歴史として展示されています。

当時被災を受けた方々の、避難所として開放しておられました。

その方々からのお礼の手紙などを展示されています。

地元でしか買えない地元発行の写真集です。

私も、授業やお茶会でお話をさせて頂こうと、一冊買い求めました。

『奇跡の一本松』と言われています。

鉄筋などが全て流されたのに、この松の一本だけが残りました。

そういえば、高台には、赤い鳥居が何箇所かあったのですが、不思議ですね。

殆どの場所、鳥居は無事だったと言われていました。

神でも宿っていたのでしょうか?本当に不思議です。

一本松近辺の写真です。奥の建物は、今の所取り壊されずに残っています。

今後、地震の状態を皆様に伝える為、出来るだけ保存する予定になっているといわれています。

後世に伝えたいと思います。現地に実際訪れ、自分の目で見て、感じると、報道で見ている以上の事を感じました。車で3時間以上走っても、スーパー1つ、病院1つ、見えてきません。

すれ違うのは、トラックばかり。

『初めて訪れた方は、ただの工事現場と思うでしょうね。それくらい、風化してきています。年月の経つのは恐ろしいです。』


伝えなければいけません。

私の地域も、『南海トラフ地震』が、近い将来発生すると言われています。

ただ、本当に起きたら、東日本大震災の比ではないかと思うのです。

人事ではない出来事、風化してはいけないと思います。

大阪南河内 介護アドバイザータロット鑑定士 龍月

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